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「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」 (詩の神・オーディン) 主題はブログにリンクします 世界遺産・平泉(18) 「構成資産;金鶏山」 金鶏山 金鶏山登山入口 千手堂(藤原三代の位牌、秀衡の木像などが安置) 義経妻子墓(妻・「北の方」と娘) 【金鶏山】 『 中尊寺ノ東南ニ高峯アリ。 秀衡コレヲ駿州ノ慈峯(富士山)ニ擬ス。カツ金鶏一匹ヲ峯頭ニ埋メ、金鶏山ト号ス 』 「奥州観蹟聞老志」(1719年に完成した全20巻に及ぶ仙台藩の地誌)に書かれている。 又、「奥の細道」では次のように書かれている。 『 三代の栄耀一睡の中にして、大門の跡は一里こなたに有。秀衡が跡は田野に成て、金鶏山のみ形を残す 』 金鶏山は、平泉を完成させた三代秀衡が築いたとされる。 標高96mの人工の独立した小高い山で、地元では造り山とも呼ばれている。 平安末期に栄えた奥州藤原氏の拠点である平泉の中央、藤原氏三代が築いた中尊寺、毛越寺、無量光院及び政庁とされる柳之御所遺跡なが点在しているその中央に位置する。 所謂、仏都平泉の浄土空間や寺仏伽藍配置等の設計上の相対的基準となった信仰の山である。 伝説では、平泉の鬼門の方向(北東)から北上川まで人の列を作らせて土砂を運ばせ、一晩で築いたといわれる。 実際に、毛越寺の鬼門(北東)に位置し、平泉を守るために雌雄一対の黄金の鶏を埋めたことから「金鶏山」とも呼ばれる。 高さは100m足らずの小山だが、登り口付近には源義経妻子の墓と伝えられる五輪塔や毛越寺の別院とされる千手院(藤原清衡、基衡、秀衡の位牌、秀衡の木像などが安置されている)がある。 義経伝説では・・、 源義経が衣川館に居たところを不意に襲ってきた泰衡の手勢に囲まれ、僅かな手勢で数時間を持ちこたえたが、最期の時を覚った義経は持仏堂に籠もり、まず幼い娘と妻を殺害した後、気合いとともに自刃し果てたという。 親子の遺骸は否応なく引き離され、義経の首は鎌倉に運ばれ、そして、妻子の亡骸は金鶏山に葬られたともいわれる。 金鶏山は、現在でも伝説が残る山で、想像上の鶏である金鶏を形どった黄金の金鶏像が埋められていると言う伝説や埋蔵金が山の何処かに埋められているのではないかといった噂もある山のようだ。 地元の観光ガイドが言うには4月中旬と8月末頃、無量光院跡から金鶏山の頂上に夕日が沈む時の光景が、最高のビュースポットと言う。 【リンク】 ※ 金鶏山;http://pub.ne.jp/hanakatumi/?entry_id=3852871 ※ 金鶏山;http://sekai-isan.biz/001_8/002_5/010/ 【問合せ】 平泉観光協会 http://hiraizumi.or.jp/heritage/index.html 【交通】 (登山口) 平泉駅前の道を直進。毛越寺手前を右折して、平泉温泉の先の道を左折して少々山を上がった所に登山口がある。 次回、平泉を育(はぐく)んだ、「北上川」
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