「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」 (詩の神・オーディン)
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世界遺産・平泉(23) 「北上川の水運」
鎌倉時代から江戸時代までの約400年は、戦乱のために政治も不安定で、北上川は交易よりも軍事的な面での役割が大きかったとされる。
時代は下って江戸時代になると、北上川の水運によって岩手南部藩領から河口である石巻港へ米が下る。
河口にあたる石巻は河川交通と海運との結節点として、日本海側の酒田港と列んで奥羽二大貿易港として全国的に有名になった。
伊達政宗が舟運の便を開き、上流の南部藩米を積んだ平舟がこの川を下って石巻で千石船に積み換え、江戸へと向かったという。 これによって、ここ石巻は北上川舟運の終点として江戸回米の一大集積地となり、石巻発展の礎となった。
この頃、伊達政宗は北上川に「貞山運河」(ていざんうんが)を拓いている。
旧北上川河口から阿武隈川河口まで、仙台湾沿いに全長約46kmに及ぶ日本最長の運河が延びているのである。
江戸慶長年間から明治期にかけて建設されたもので、因みに「貞山」とは伊達政宗の謚号(しごう、おくりなで生前の行いを尊び死後に贈られる称号)である。
仙台平野に流れ出た北上川は大きく蛇行を繰り返しながら、近年になって津山町付近で洪水防止のため新たに開削された新北上川(追波湾:おっぱわんに注ぐ)と旧北上川(石巻湾)とに分かれる。
北上川は、それらの戦役を含めた社会、経済、文化の発展に大きな役割を果たしていて、別称・北上川流域文化圏とも呼ばれる。
北上川周辺には、平泉を中心として国指定史跡、名勝、天然記念物などの多くが分布していて、それは陸奥の国・東北の苦難の歴史を秘めていることでもあった。
北上川は、宮沢賢治(花巻市)、石川啄木(盛岡市)など、流域出身者の作品にも取り上げられたように、流域住民にとってはまさに「母なる川」なのである。
その北上川は今も只、悠然と、ゆったりと流れている。
「北上夜曲」 作詞:菊地規、作曲:安藤睦夫
匂い優しい白百合の
濡れているよなあの瞳
想い出すのは 想い出すのは
北上河原の月の夜
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