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「広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」 (詩の神・オーディン) 主題はブログにリンクします 世界遺産・平泉(9) 「秀衡と義経と頼朝」(U) . 義経肖像画(中尊寺所蔵) 高館・義経堂 【源義経】 義経の父・源義朝は、清和源氏の祖である源経基六代の孫・為義の長子として生まれた。 義朝は、1156年の「保元の乱」で平清盛とともに後白河天皇方について父の軍を主力とする崇徳上皇方を破り、その三年余後、藤原信頼と「平治の乱」を起こすが、平清盛のために破れ、東国に逃れる途中、尾張で譜代の家来に謀殺された。 源義経は平治元年(1159年)、源義朝と常盤との間に義朝の九男として、今若、乙若につづく常盤の第三男として誕生し、牛若と名付けられた。 平治の乱の後、平清盛は成長した後の報復を恐れ、常盤の子三人を殺すことを家来に命じた。 これを知った常盤は、三人の子どもを連れて大和の国(奈良県)の宇陀に逃れ、外戚を頼って身を隠そうとするが、縁者は身にふりかかる災いを恐れ断った。 清盛に助けを懇願すると、美人の誉れ高い常盤に心を奪われ、常盤が清盛に付き従うことを条件としてと三人の子どもを赦免した。 こうして今若と乙若は寺に預けられ、牛若は、四歳をすぎた頃に京都の山科に移り、七歳になったところで常盤により鞍馬山の別当東光坊に預けられた。 成長した牛若は、平清盛に破れた源氏の大将義朝の子であること知る。 更に、牛若の兄源頼朝が今伊豆の国に流されていること、そして、源氏代々の武功勇武などを知ることになる。 これを契機に名を「遮那王」に改めることとなり、鞍馬寺の本尊のもとに日参しながら、密かに平氏討伐を祈願していた。 奥州にいて、兄・頼朝の挙兵を知った義経が、兄のもとに馳せ参じ、源氏の大将として合戦に参加する事になる。 しかも、各地の合戦において悉く平家軍団を追い落とし、一の谷、屋島と次々に平家に勝利し、最終的にはかの「壇ノ浦」にて平家滅亡への引導を渡す大活躍をやってのける。 義経は、壇の浦で捕虜にした平宗盛たちを護送しながら、兄・頼朝のもとへ参じるが、何故か、鎌倉に入るなという命令を出る。 その原因と考えられるのは、 @頭領(頼朝)の承諾なしに朝廷から冠位を授かった。 A独創的で自発的な義経は合戦では役立つが、武士の統制をとろうとしていくうえでは、邪魔になる。 B義経の人気と強さが怖かった。 この間義経は、頼朝宛に異心のないことを切々とつずった書状をしたため、世に言う腰越状を届けたが、しかし思いは届かなかったかったのである。 兄・頼朝は弟・義経を完全に無視した。 その後、頼朝との敵対関係を知らされた義経は京に戻り戦線を開くが、既に戦意戦力は無く、追い詰められた義経はその後、一旦、吉野山に逃れる。 この吉野でも追われた義経は北陸路を辿って奥州へ逃れる。 また長い逃避行の後、安住の地を奥州平泉に求めた。 しかし、養父と慕う藤原秀衡とは間もなく死別、その後ろ盾を失った義経は、頼朝指令によって、秀衡の子の泰衡の手により討ち取られ、その生涯を閉じた。 義経が衣川高館で討たれたのは、1189年4月30日のことであった。 討ち取られた首は黒漆の櫃(ひつ)におさめられ、清酒に浸されて鎌倉に送られた。 しかし、首実検が行われたのは腰越の浜であり、義経は首になっても鎌倉に入ることはできなかったという。 源義経最期の地として知られる高館は、中尊寺の東南にある丘陵で、衣川館または判官館とも呼ばれ、頂に義経の像を祭る義経堂がある。 直ぐ下の麓には、平泉を貫く美しい北上川の清流が広がり、四季折々の景観とともに大パノラマを展開している。 一方、昔から義経生存説も残っており、実際に自刃したのは杉目太郎行信(しぎのめ たろうゆきのぶ;年齢がちょうど義経ぐらいで、顔形もよく似ていたので、義経の影武者として衣川の戦いで死んだというとの言い伝えが残る)で、義経は1年も前に平泉を出立し、蝦夷(北海道)へ逃げ延びたとも言われている。 岩手や青森、北海道には義経伝説を伝える神社や寺院など多く存在し興味深いところである。 後年、松尾芭蕉は弟子の曽良とともに平泉を訪れ、志を遂げずに散った義経主従を追想している。 江戸期・1689年の夏、松尾芭蕉が「夏草や ・・・」と詠んだのは高館の地とも言われる。 『 夏草や 兵どもが 夢の跡 』の句を詠んだ。 (平安の世に、奥の都として隆盛を極めた平泉は、過ぎ行く時の流れと共に跡形を無くし、もはや、雨土そして山河の息遣いのみが、この辺地に残る全てであった。 人の世の興亡は、何と儚いことだろう。) 更に、随行の曽良は 『 卯の花に 兼房みゆる 白毛かな 』の句を詠み、義経家臣の忠義心を称えている。 次回、更に、「秀衡と義経と頼朝」(V)
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