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古都鎌倉(10) 「安養院」




北条政子に縁のある「安養院」




頼朝亡き後、府内をまとめたのは尼将軍「政子」であった・・、

「安養院」は「北条政子」の法名であり、政子ゆかりの観音寺院である。

政子が、夫・源頼朝の菩提を弔うために笹目にあった「長楽寺」という寺をこの地に移したのが前身といわれる。 
その後、政子の法名をとって安養院と改名したという。


・・汝らは、昔の惨めさや、辛さを忘れたか、そこから汝らを救い出した幕府の恩を忘れたか・・、』

実朝が暗殺されて正統・「源氏」は滅びた。

それを期に都の朝廷、公家たちは、「番犬たるべき武人が主に背き、鎌倉幕府なるものを別地で開いて都をないがしろにした、源氏なきあと今こそ鎌倉を葬り去れ・・、」と息巻いた。 

承久3年に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府に対して倒幕の兵を挙げた兵乱を「承久の乱」という。
これに対して鎌倉側は朝廷に弓引くは如何なものか・・?、と思案している御家人衆にむかって発した政子の論旨演説であった。


我にかえった家人達は大挙して都へ攻め上り、圧勝するのである。

政子が21才の若い時分、流人の頼朝に一目惚れし、平氏の力を恐れる周囲や父親の反対を押し切って頼朝のもとへ走った「情熱の女」であった。
頼朝の正室となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると「御台所」(みだいどころ)と呼ばれるようになった。

頼朝と父・時政の間にはいって北条家を盛り立てる「明晰な女」であり、そして遂に北条天下を勝ち取った「政略の女」でもある。



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文治2年(1186年)義経の愛妾の「静御前」が時政に捕らえられ、鎌倉へ送られた。 
頼朝は白拍子の名手の「静」に舞を所望する。

静は鶴岡八幡宮で白拍子の舞いを披露し、頼朝の目の前で・・、


『 しづやしづ しずのをたまきを くり返し 
                   昔を今に なすよしもがな
 』


と義経を慕う歌を詠い舞った。


これに頼朝は激怒するが「政子」は、流人であった頼朝との辛い馴れ初めや挙兵のときの不安の日々を語り『私のあの時の愁いは今の静の心と同じです。義経の多年の愛を忘れて、恋慕しなければ貞女ではありません』と取成したという。 

政子のこの言葉に頼朝は怒りを鎮めて静に褒美を与えたという。
頼朝亡き後、政子は出家して尼になり尼御台となった、「尼将軍」といわれる所以である。


一方、頼朝亡き後に鎌倉幕府を主導したことは評価しつつも、子(頼家、実朝)が変死して婚家(源氏)が滅び、実家(北条氏)がこれにとって代ったことが婦人としての人倫に欠くと批判を加える向きもある。 

又、この頃から政子の嫉妬深さも批判の対象となり、政子を「日野富子」(室町幕府8代将軍足利義政の正室。

応仁の乱)や「淀殿」(豊臣秀吉:羽柴秀吉の側室。淀君、茶々)と並ぶ悪女とする評価も出るようになった。


「安養院」は鎌倉市大町材木座、JR/江ノ電鎌倉駅徒歩12分
境内には、天然記念物に指定された槙(まき)の巨木(樹齢700年)があり古刹の雰囲気を醸し出している。

実際の墓所は、扇ヶ谷(おうぎがやつ)・鎌倉五山第三位の「寿福寺」に源実朝の胴墓と共に眠っている。


次回は、 「鎌倉宮」   古都鎌倉(11) 「鎌倉宮・護良親王の墓」へ



        

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