カスタム検索
世界遺産
【紀伊山地の霊場と参詣道】

南紀霊場:part3(南紀勝浦、勝浦温泉)    南紀霊場:Part4(大門坂、那智大社)へ
小生の旅と山旅  日本周遊紀行  世界遺産と鎌倉・湘南  日本周遊ブログ  日本周遊写真集T
日本周遊紀行:詳細目次
詳細目次(東日本)  信越・東北西沿岸 北海道T、世界遺産:知床 北海道U 東北・東沿岸 関東沿岸
詳細目次(西日本)  鎌倉・湘南 東海 近畿 四国 山陽 九州(北、西) 九州(南) 九州(東)  沖縄  
               山陰・北近畿  
北陸  世界遺産:紀伊熊野  宮島 石見銀山

【本文関連情報


熊野紀行(5)南紀勝浦 「那智勝浦」

「勝浦」であるが・・・、

南紀勝浦、紀伊勝浦、那智勝浦と愛称、俗称をこめると色々な読み方があるようである。 
和歌山の古い地名は「紀伊」といって、紀南と紀北に分けられるという。 そして、和歌山にはもうひとつ、「南紀」という言葉がある。
「紀南」と「南紀」・・、 現在、ほとんどの和歌山の人がこの二つを、和歌山県(紀伊)の南部という意味で同意に使っているようだが、ところが厳密に言うと「紀南」と「南紀」は意味が違うという。紀伊の南部にあたるのは「紀南」の方で、文字通り紀伊の南部地方であるという。 

一方、「南紀」という呼称は古来からあったらしい・・、
京の都を中心として、その南である紀北、紀南を含めた紀伊地方全体を指す言葉といわれる。 近畿地方南部の和歌山県や奈良県吉野地方の一帯を総称する俗名であり、南近畿(みなみきんき)とも言われた。 つまり、本来は紀伊の国自体を指し、それは紀伊の国が南海道の筆頭に挙げられた国でもあり、紀伊国が畿内(※きない、きだい、)から見て南に位置するからとも言われている。
現在は、和歌山県の地方区分としては北から紀北地方、紀中地方、紀南地方と三地方に区分し、正式な呼称としているようである。 
南紀というのは、固有名詞として「南紀白浜空港」とか、「南紀白浜」、「南紀勝浦」と呼ばれてはいるが、紀南地方を「南紀」と一般的な呼称として使用する場合が多くなっているようである・・。 

畿内(※)については・・、
本来は王や皇帝が住む都の周辺の地域を指し、畿内とはその五国である山城国(京都府南部)、大和国(奈良県)、河内国(大阪府南東部)、和泉国(大阪府南部)、摂津国(大阪府の大阪市と大阪府北部、兵庫県の神戸市以東)が近畿地方の中心で、今でいう「首都圏」である。 「畿内」という呼称は、今では歴史・地理学用語としての色合いが濃くなっていが、近畿地方とは「畿内」に近い地方とうことで、山陰から南の地方の紀伊の国(和歌山)までを指す場合もある。関東地方に対して近畿地方(関西地方)であろうか・・。 
古来、近畿が正式名称・雅称であるのに対して、関西は俗称とも言われるように、紀伊の「南紀勝浦」は俗称であろうか・・?。
勝浦町の駅の名称は「紀伊勝浦」という。和歌山南岸を走る「紀勢本線」(愛称・きのくに線)の駅の名称で各駅の頭に「きい・紀伊」と付く駅名が多い。 これは和歌山は「紀の国」「紀州」であり、「紀伊」というのに他ならない。

又、那智勝浦は1955年(昭和30年)、勝浦町、那智町、宇久井村、色川村の4町村が合併し「那智勝浦町」となる現在の町名が付いた。
那智(なち)の名称は、熊野地方の地形による「難地」に由来するともいわれるが、「那智山」から命名されたものが本来であろう。ただ那智山という単独の山は無く「那智山系」と言うのが本来であろう。 山系は、北から南へ大雲取山(966m)、烏帽子山(871m)等が折りなし、那智大滝やその水源林である那智原始林(天然記念物)に見られるような深い自然の山と森林が残されている。 このように、稜線が並ぶ状態を「那智」とも称していた。

この地は古来、熊野三山を中心とする熊野信仰の原初の姿は自然信仰であり、那智大滝の崇拝から生じた滝行場(滝にこもって修行する場)の地であった。 今日でも熊野那智大社や、その別宮である本殿を持たない滝前の「飛瀧神社」は、この滝をご神体とし崇め奉っているのである。
現在でも、それらをとり囲む深い自然が自然信仰の姿を見ることが出来、そうした由来から、これら一帯の聖地を総称して難地、即ち「那智」と呼称しているようである。

勝浦の港は、狼煙半島(のろしはんとう)が海をぐるりと囲った入江の中にあり、更にその入口に「中ノ島」という島があるために奥にある港には海からの荒波がまったく来ない。 こうした条件のために、南紀では随一といわれるほどの良港となっている。
港の勝浦漁業協同組合魚市場の埠頭では、生鮮マグロ水揚高日本一を誇るマグロの競りで賑わう。 又、この勝浦の港の一帯には温泉も湧出していて、南紀白浜温泉と並ぶ和歌山県を代表する温泉地であり、温泉を源資とした港周辺には巨大なホテルが林立して一つの風景を成している。
那智勝浦は、こんな「世界遺産と温泉、そして生マグロの町」として 今、脚光を浴びているのである。

次回は、 勝浦温泉・「ホテル浦島」

【本文関連情報



熊野紀行(6)勝浦温泉 「ホテル浦島」



写真:評判のホテル浦島の忘帰洞と玄武洞の露天風呂


評判どおり迫力の名物風呂、忘帰洞と玄武洞・・、

南紀勝浦温泉(地元では特に「南紀」という言葉は使わない)は白浜温泉と並ぶ、和歌山県を代表する温泉地であり、世界遺産に登録された那智山や那智滝、熊野三山、吉野熊野国立公園への拠点となっている。太平洋に面したリアス式海岸、南紀の景勝地である紀の松島一帯に大小のホテル、旅館が集まっている。中には島や岬にホテル、旅館がある。
温泉地として開けたのは大正時代からと、白浜の歴史有る古湯に比して新しい温泉場である。源泉の数は優に100を超え、各の旅館が自分の源泉を持っているという。
大正時代には、紀州徳川家15代当主である徳川頼倫(とくがわ よりみち)が訪れ、洞窟の温泉に入浴した際に「帰るのを忘れるほどである」と賞賛した。
その賞賛した温泉こそ南紀勝浦温泉にある大型ホテル「ホテル浦島」であった。
「ホテル中之島」、「かつうら御苑」等と同様、超大型観光ホテルの一つであり、周辺には名所・観光地が多い中このホテルだけを目的とする観光客も多いのである。それは、ホテル浦島の中で、「六つの温泉を楽しむことができる」という魅力の為でもあり、その中に、同ホテルの目玉である「忘帰洞」(温泉浴場の名前)を目的に・・。

H・浦島へは駐車場からバスに乗り、更に船に乗って向かう。 ホテル浦島の敷地は、勝浦港に張り出した狼煙山半島にあり、当然、陸続きなのに客は船で向かう事になっている。 実際にはトンネルも存在し、業務用及び緊急用として使用しているが、これもホテルの演出の一つであろうか・・?。
まず、その駐車場の広さに驚く、イベント会場よろしく700台の広さで、ホテルより遠くはなれていて送迎はそのためである。 ホテル浦島は、幾つものプランに分かれる。 部屋ごとのプランは本館、なぎさ館・日昇館、山上館の三つに分かれ、値段は当然段階に分かれる。 われらはツアー客の一員なので、「並」の段階であったが・・。


忘帰洞と玄武洞・・、
先ず、何といっても名物温泉浴場に向かった。 目指すは、「忘帰洞」と「玄武洞」であり、この温泉に入らなければ浦島に泊った意味がないといわれる・・!。 
「忘帰洞」の一文字で、このホテルのイメージを作り上げてると言ってもよく、旅行会社の旅の案内やツアーガイドにはホテルの名前より忘帰洞の名称で売っているようでもある。
「忘帰洞」は、まさに名前の通りで、『忘帰洞の湯に浸かれば家に帰るのを忘れてしまうほどの 名湯』という意味であり、この名前は紀州・和歌山藩の藩主が来遊されたとき「帰るのを忘れるほど」 と賞めて名づけられたものだという。 
頼倫公が賞めた理由は湯の良さは勿論、忘帰洞が天然の巨大な洞窟の中に天然の湯が満たされているということである。 
それは熊野灘の荒い風波に侵食されてできたものであり、間口 25m、奥行き50m、高さ15mにも及ぶ。 大洞窟の中の湯に浸りながら望む外洋の日の出、足下の磯をかむ荒波など、正にその名に相応しい美景であり、奇景と言われる由縁である。

いよいよ、その玄武洞・忘帰洞に入場である、否、入湯である。
物珍しさも手伝って、洞窟温泉へカメラを持ち込んでの入浴客も見える、当然、小生もその一人であるが・・。 半島の外海に面している洞窟のため、太平洋の荒波がモロに打ち寄せ、その波が岩場に当たる度に怒濤と飛沫(しぶき)があがる様子に驚嘆するのである。 高い波が打ち寄せる度に、「おおおっ」と思わず歓声をあげたくなる迫力で、絶えず、ザブン、ザブン、ザザザザザブンという音が聞こえてくる。 湯船の外、波打ち際は一段高くなっていて鉄鎖が施してあるのだが、波が荒れてる時などは其処を乗り越えて飛沫がザーッとかかる時もあるという。この時は、飛沫をモロに被りながらの入浴になるという、又、大荒れに荒れた日にはさすがに近寄れない不気味な怖さもあり何とも凄い自然の迫力を感じさせる洞窟風呂である。

もちろん、それ以外の温泉も楽しい・・、
「滝見の湯」の樽風呂も楽しく、又、狼煙半島の山上館へは長―い、急なエスカレーターでハルバル昇って「狼煙の湯」(のろしのゆ)に辿り着く。 この屋上湯から眺望できる勝浦港が圧巻である。 
湯質もなかなかのもので、浦島の温泉に入って白いゴミが浮いている・・・と言う無かれ、それは湯の花と呼ばれる温泉の成分で、それが浮いている程温泉は上質なのである。 この他にも温泉浴場があって、温泉スタンプ等も置いてあり又明日(連泊)、湯破(とうは)するつもりである。

さて次に食事であるが、所謂「バイキング方式」の多種量産セルフサービス方式である。 我々は余り「食」には拘らないほうで、蟹の食い放題だけでも十分であった。 
だが、一つだけ残念なことがあり、この件に関してはさすがに係員に申し付けたが、「いくらバイキング方式とはいえ、土方の飯場じゃあるまいし、赤い丸箸を無造作に束ねて置いてあるのは戴けないネ・・!!」と・・。

次回は、 熊野古道・・「大門坂」  part4へ

【本文関連情報



Topへ   part4へ   日本周遊紀行・ブログ編    西日本写真集       
【小生の旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (別URLです)

【日本の世界遺産紀行】 
北海道・知床  
白神山地 
紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

ハワイ旅行2007
九州旅行2008
東北紀行2010
沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

古都鎌倉紀行
「山行リスト」 

立山、剣(天の記)(1971年)
白馬連峰登頂記(2004・8月)
北ア・槍−穂高(1968年)
上高地・明神(2008年)
南ア・北岳(1969年)
南アルプス・仙丈ヶ岳(1976年)
八ヶ岳(1966年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
谷川岳(1967年)
尾瀬・燧ケ岳紀行(1973年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
奥秩父・金峰山(1972年)
「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
「丹沢山塊」
「大菩薩峠」
 


スキーの記録  
「スキー履歴」



inserted by FC2 system