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湘南紀行(3)江ノ島 「江ノ島弁才天」



江ノ島神社


奥津宮


中津宮


辺津宮
写真:江ノ島神社参道と奥津、中津、辺津の三社、


「日本三大弁才天」と称される湘南・江ノ島の弁天様・・、

相模の国・神奈川県には寺社の多い「古都鎌倉」、世界的にも知られ温泉場としての「箱根」、景色のいいことで有名な「三浦・金沢八景」、そして庶民の信仰を集めた大山や江ノ島などがあり、江戸から近いということもあり、多くの旅人が訪れれている。
そして「江ノ島」はいつの時代も、古都鎌倉と並んで湘南の象徴でもある・・。


「弁財天」とは・・・?、


その江ノ島に象徴されるのがやはり「江ノ島神社」であろう。 御祭神は天照大神の神の子と言われる三人姉妹で女神である。 
御社は三社あって其々、奥津宮の多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)、中津宮の市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、辺津宮の田寸津比賣命(タギツヒメノミコト)、この三女神を江島大神と称して祀っている。
何れも海の神、水の神の他に、幸福・財宝を招き、芸道上達の功徳を持つ神として、今日まで仰がれている。

福岡の宗像大社や広島の厳島神社と御同神とされているが、三女神の祖神である宗像大社も沖津宮、中津宮、辺津宮という全く同様の三神が祀られていることから、或いは、宗像大社から勧請されたものかもしれない。

その後、奈良末期から平安初期の仏教との習合によって、弁財天女から江島弁財天として信仰されるに至っている。
一般に「弁財天」は市寸島比賣命とも言われ、これは宗像三女神の一柱である市杵島比賣神が全国の弁天様の総本宮とも云われている。

江島弁財天」は平安末期、源頼朝が奥州藤原氏を討つために山城(京)の神護寺の僧侶・文覚に頼んで近江・琵琶湖の竹生島弁財天(宝厳寺・竹生島神社=元々一体であったが明治期の神仏分離令で分社寺された)を勧請させたのに始まるという。 
従って、この頃から社格は武門の神としても崇められ、鎌倉期より戦国・江戸期を通じ武将の信仰を広く始め、多くの要人が参拝したと言われる。 

戦国時代は後北条氏(鎌倉期の北条とは異なる)によって庇護され、慶長5年(1600年)には徳川家康が徳川家開府を祈願している。 
当時は島全域が聖域としてあつかわれたようで、農耕、富貴、名誉、福寿などを成就してくれる仏あるいは神としても信仰され1190年、北条時政(頼朝の正室・政子の父、鎌倉幕府の初代執権)が参詣し、子孫と武門繁栄を祈願した際、龍の化身が現れて「貴家、子々孫々繁栄す・・」と告げて三枚の龍のウロコを授け、これが元で北条家を「三鱗・みつうろこ」の家紋に定めたという。 
以降、鎌倉期の北条家は150年間、執権15代続くことになり、弁天は幸運を運ぶ福の神とされた。 今でも江ノ島の各所に「三鱗」のマークが目立つ。

江戸時代にはいると観光としても江戸から多くの町民が訪れ賑わった。 民間信仰では市杵島比賣神が琵琶を奏でる姿から、音楽や芸術の才能を伸ばし、弁知(知恵)の神、更には縁結びや、財宝をもたらす金運の美女の代名詞である「幸福の女神」でもあるともいわれる。従って、歌舞伎役者、芸人なども数多く参拝したという。 



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弁財天」は、水辺、島、池など水に深い関係のある場所に祀られることが多いという。
日本三大弁才天」と称される神奈川県江ノ島、滋賀県宝厳寺(竹生島・ちくぶじま)、広島県・厳島神社はいずれも穏やかな海や湖に面している。

元来、古代インドの「河神」であることから、河の流れる音を連想し音楽神ともされている。 
元祖である宝厳寺のある竹生島は能の演目にもなったり、近世邦楽の楽曲でも取り上げられている。 平家琵琶で「竹生島」という演目もある。
元より、弁財天の像形には二通りあって、八本の手に弓、矢、矛(ほこ)、鉄輪などを持つ「武の形」と一方、琵琶を奏する「音曲形」の像があるという。


ところで、琵琶湖は元々は万葉集で「淡海(あわみ)」と記され、後に現在の滋賀県が「近江国(おうみのくに)」と呼ばれる語源にもなっているとされる。 
琵琶湖という名称が定着したのは、江戸中期以降に形が琵琶に似ていることから付けられたというが、案外、竹生島の弁財天が琵琶を奏でていることから、その名が起こったのかも知れない・・?。

尤も、今の竹生島の弁財天は、当地の戦国武将・浅井久政(浅井長政の父)が寄贈奉納されたもので、当人が武将であるため八本の手の武形の弁財天であるともいわれる。
又、弁才天の「才」の字が「財」に通じることから財宝神としての性格も持つようになり、「弁財天」と書かれることが多くなった。
鎌倉の銭洗弁天は好例・・、洞窟内の湧き水で持参した銭を洗うと、数倍になって返ってくるという信仰が今でもある。


弁才天(弁財天)といえば「七福神」・・、

弁才天(弁財天)といえば「七福神」、つまり恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁才天、福禄寿、寿老人〈又は吉祥天:布袋)の中の紅一点として有名である。 
出身はインドのガンジス川の神とされ、原語では「サラスヴァティ」といって「サラス」は水を意味し、「バティー」は富むの意味で、川、池、湖などの水を神格化したものだといわれている。 

水は邪気を清め、汚れを落すものでガンジス川そのものも聖なる川とみなされ、死者をその川岸で火葬に付し、灰をこの川に流すことは死者に対する最大の敬意とされている。 
また信仰によりこの川で沐浴するために巡礼してくる信者も数多い。 
サラスヴァティは、今でも、これら聖なる川の神なのである。

この神は人に対して弁財や福知与え、延寿及び財宝を与えるように図り、また天災地変を除滅し、かつ戦勝をもたらすという。 ほぼ完璧な御利益のもち主(神)なのである。 
元々、仏神に女神が少ないこともあってか、この江ノ島弁才天はかなりの人気があり、しかも、美人の神とされている。
昔は美人のことを「弁天娘」とか言ったそうであるが、この神は、嫉妬深いとも言われる。 
それは同僚の七福神は、老人とオヤジばかりで、目ぼしいのがいないからとか・・?、この俗信は「江ノ島の弁財天」からきたといわれている。 


江戸時代に江ノ島の弁天様詣りは非常に盛んであったが、片や若夫婦や恋人同志、同伴で江ノ島を訪れると弁才天が嫉妬するから一緒に渡島するのを嫌ったという。 
ただ、これには裏話があったようで、江ノ島の弁天様詣りが非常に盛んであったために、それを狙った遊郭、遊女が多かったため、そこで、男の方も女遊びがしたいために、夫婦で或いは恋人同士で行くのを敬遠したためというが・・?。

男の性癖は、古今東西変わることはない・・??。

次回も「江ノ島」Part2へ続きます     湘南紀行(4)江ノ島Uへ



        


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