世界遺産・「知床」V

目 次
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知床(1) 「はじめに」

知床(2) 「流氷について」
知床(3) 「世界遺産について」
 2頁目
知床(4) 知床の玄関「斜里」
知床(5) 「ウトロ温泉」
知床(6) 「知床五胡」
 3頁目
知床(7) 「五胡とヒグマ」
知床(8) 「知床五湖」(3)
知床(9) 「カムイワッカの湯」
 4頁目
知床(10) 「カムイワッカの湯」(2)
知床(11) 「カムイワッカの湯」(3)
知床(12) 「カムイワッカの湯」(4)
 5頁目
知床(13) 横断道路「知床峠」
知床(14) 「知床八景」
知床(15) 羅臼「露天・熊の湯」
 6頁目
知床(16) 羅臼「知床旅情」
知床(17) 羅臼「羅臼八景」


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世界遺産・知床(7) 「五湖とヒグマ」

神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た・・!!、

『神が五本の指を大地について五湖の湖が出来た』という、アイヌの古くからの伝説である。
知床の観光地は、カムイワッカの湯滝と知床五湖という感じなのであるが、その五湖をすべてを歩いても3km・1時間半程度であるが、昨今、五湖周辺はヒグマの出没が多いようで、特に奥の方に位置する三〜五湖の間で頻繁に出没するらしく、看板にもある通り時折、遊覧・通行禁止の処置が出るらしい。
帰路の途中、レストハウスを覗いてみるとヒグマの情報がそれとなく記載されていて、ヒグマとソーセージにまつわる話が案内板に書かれていた。 
以前、山から下りてきたメスのヒグマに観光客がソーセージを投げ与えてしまい、それ以後このヒグマは度々人前に姿を現すようになり、直接人に危害を加えなかったものの、結局は射殺すること破目になってしまったという。 クマに餌をあげることで、クマは人は食べ物を持っているということを覚え、人を恐れなくなり、最終的には危険に晒される恐れがあり、射殺しなければならない結果になると・・。人々の軽率な行動によって危険が迫り、結局、ヒグマの命が失われるという逆目で皮肉なことが起きてしまうのである、心せねばなるまい・・。

最近、観光バスが斜里町ウトロから「知床五湖」に向かう途中、車窓からヒグマの親子三頭が見えたというニュースもあった。 自然センターの監視員が嘆くには、最近は湖畔遊覧中に、アイスクリームやお菓子を食べなが遊歩道を歩く観光客が特に多く見かけられ、ヒグマの接近をまねきかねないし、危険を自ら行っている行為であると・・。 
ある時、観光客の歓声に驚いたヒグマが突進してきて立ち止まり、威嚇行動(ブラフ・チャージという)をとったということもあり、無神経な「ヒグマ見物」の危険さが現実になったともいう。この時は当然、五湖の遊歩道は全面的に閉鎖されてしまう。よく熊除けには「鈴の音」、「熊除けスプレー」等がいいと言われ、確かなことではあるがヒグマが暮らす知床五湖を観光で散策することは「掟や決まりさえ守れば、大丈夫で安全」という。 あくまでも「知床五湖はヒグマの良好な生息地であって、我々人間はそこにお邪魔させてもらっている」という意識を先ず知らねばならないと・・。

今年、世界自然遺産になり、観光客が激増する中、これまでの知床五湖にクマが出現すると、立入禁止になることがしばしばあったため、ヒグマの活動が活発な時期(通常6〜7月)は一部は電気柵を設置し、一方は閉鎖して対策を講じているという。 
2006年の4月から知床五湖では高架木道が設置され、周囲に電気柵を設けてヒグマ出没時にも観光客を受け入れられるよう配慮するそうである。又、この高架木道はこれまでの湖をまわるコースとはまったく別のコースに設置され、しかも車椅子使用者や高齢者にも配慮した仕様となっていて、新たな知床五湖の探索の場ができるらしいと・・。

次回は、知床五胡の更に続き・・、

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世界遺産・知床(8) 「知床五湖」(3)

更に、「知床五湖」について・・、
尚、遡れば、名所「知床五湖」の名前を付けたのが、ウトロ地区で最大規模の施設を誇る「知床第一ホテル」の創業者、上野茂樹さんであったという、 先般、お上さん(妻)とお世話になったホテルでもあった・・。元々、地元で畜産業を営んでいたが、斜里町役場の時代、通算20年間の間に陳情その他の仕事でよく東京へ出張し、その時、新橋第一ホテルに泊まったのが心に残り、「あんな立派なホテルをつくってみたい。」と、将来に夢を託し実現したのが、その名も「知床第一ホテル」であったという。 
宿屋の経営は素人だったが、お客様の立場からいえばプロだ・・、との意識で経営を始めたいう。 斜里町役場の時代、特に、産業課長となった上野氏は、斜里・知床の町起こし・発展に力を注ぎ、観光に意力を尽くしたという。上野氏は、ウトロ奥地の開拓地近くに名前のない五つの沼があるのに目を付けた。 観光のため名前を付けて地図を整備しようということになり、「五沼じゃ格好悪いから、知床五湖でどうだ」・・と、しかし、どう見ても大きさからして「湖」という規模ではないという異論もあったが、上野さんのその一言で決まっという。

近年になって、五湖の遊歩道がヒグマ出没で、時折全面閉鎖になっている状況に、上野を氏はじめ観光関連業者はいら立ちを強め、解決策として「高架木道」の設置を提案していた。五湖のうち入り口に近い「一湖」、または「一湖」と「二湖」双方の周りにヒグマの登れない高い木道を造り、一般観光客はそこを歩いて見学する。 それより奥は、猟銃を扱う許可を持つ知床財団のガイドが同伴することを条件に、一部見学を許すという案であったといわれる。

北海道の「ヒグマとイオマンテ」について・・、
古来、アイヌの人々は「ヒグマ」をキムンカムイ(山の神)として崇めた。
「イオマンテ」とはアイヌの送り儀礼のことである。 言葉としては「イ(ものを)」+「オマンテ(送る)」という意味であり、単にイオマンテという場合、熊のイオマンテを指すことが多い。 冬の終わりに、まだ穴で冬眠している熊を狩る猟を行うが、そこに冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが、小熊は集落に連れ帰って育てる。 
最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。 大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移す、やはり上等の食事を与える。 1年か2年育て、ある程度大きくなった後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行う。 熊の姿を借りてアイヌコタン(人間界)にやってきたカムイをカムイコタンに送り返す儀式である。 その際、小熊を森へ返すのではなく、殺し解体して、その肉をふるまうということなのである。

類似の熊送り儀礼は、サハリン周辺の北方民族など、ユーラシア・タイガ(シベリア地方に発達する、針葉樹から成る大森林)の内陸狩猟民族に広く見られており、イオマンテもその一種でもある。 このことからイオマンテは、オホーツク文化の一端でもあるといえる。

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世界遺産・知床(9) 「カムイワッカの湯」


カムイワッカの湯の入口、湯滝登りのワラジを賃貸している

ウトロの街を離れると、道は大きくうねって山中を分け入るように高目を行く。 
このヘアーピンカーブの先端高所から真下に、ウトロの街とオホーツク海が一望できる、ここは一枚の絵になる絶景ポイントであろう・・。 これから先は知床の深い森へ入る。 やがて知床峠へ向かう国道334と分かれて道道93号線所謂、「知床公園線」を行くようになる。 「知床五湖」の入り口までは快適な舗装道路であり、更に、車はカムイワッカへ向かう。
この先の道程約15km全コースは無舗装・オフロードのコースである。 前回、カミさんと来た時は、「これだけ往来が激しいのだから、サッサと舗装すればいいのに・・」などと何気なく言い合っていたが・・、ガタガタ道を走りながら思ったことは・・・。 

『知床は環境保護の象徴でもあり、舗装道路にしないのは分断された道路左右の自然環境を出来るだけ保つようにし、大小動物が歩き易く往来し易いし、そして何よりオフロードのためスピードは緩めになり、出会った動物に対しても安全なのである・・』 このような理由からではないか・・、と勝手に想像するが・・。 
案の定、親子連れのエゾシカが道端で草を食んでいる、それも数箇所で見られ光景である。
ジグザグの曲りくねった道を埃をたてながら、ヨウヨウ、「カムイワッカの滝」の入り口まで来た。これからカムイワッカ川を遡行して、名物「カムイワッカの湯」へ向かうのであるが・・。
入り口には、沢を朔行するための滑り止めのワラジを500円でレンタルしている。 小生は予備のズック靴でOK・・。 

次回は、更にカムイワッカの湯 世界遺産・知床半島 4頁へ

【小生の旅のリンク集】
旅の紀行・記録集
山の紀行・記録集 山のエッセイ
「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
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【日本の世界遺産紀行】 
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紀伊山地の霊場と参詣道 
安芸の宮島・厳島神社  
石見銀山遺跡とその文化的景観 

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沖縄旅行2008
北海道道北旅行
北海道旅行2005
南紀旅行2002

「山行リスト」 

白馬連峰登頂記(2004・8月)
八ヶ岳(1966年)
南ア・北岳(1969年)
北ア・槍−穂高(1968年)
谷川岳(1967年)
丹沢山(1969年)
西丹沢・大室山(1969年)
八ヶ岳越年登山(1969年)
西丹沢・檜洞丸(1970年)
丹沢、山迷記(1970年)
上高地・明神(2008年)

「上高地雑感」
「上越国境・谷川岳」
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