日本の世界遺産と古都鎌倉、湘南を紹介しております



日本の世界遺産
(附;古都鎌倉、湘南)



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世界遺産
『知床』
平成17年7月に「知床」が世界自然遺産に登録された。
知床は、アイヌ語の「シリ・エトク」から起こり、これは「地の果て」を示す。
「シリ・エトク」は大自然が残され、流氷によって生物、動物の自然循環が生かされている知床半島のことである。
 
  『知床』
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世界遺産
『白神山地』
世界一のブナ林で覆われている白神山地は、青森県南西部から秋田県北西部にまたがる13万HAに及ぶ広大な山地帯の総称で、このうち原生的なブナ林で占められている区域1万7千HAが、1993年12月に世界遺産として登録された。 
その内、「世界自然遺産」登録地域は、中央部の核心地域(コアーゾーン)と周辺の緩衝地域(バファーゾーン)に分かれ、これらの地域は世界遺産登録時より以降は開発を行わず、現状のまま保護される事になっている。

   『白神山地』
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世界遺産・平泉
「仏国土(浄土)を表す建築・庭園」
 

平安時代末期、東北地方のほぼ中央(岩手県南部)に位置する平泉は、約100年にわたり独自に発展させた仏教寺院や浄土庭園などの遺跡群がある。
藤原三代に亘って平泉を仏都の中心にし、各地に浄土思想に元ずく仏塔伽藍群や浄土庭園を構築したものである。
2011年(平成23年)6月、ユネスコの世界遺産リストに登録された。
日本の世界遺産の中では12番目に登録された文化遺産であり、東北地方では初の世界文化遺産となった。

   平泉・「仏国土(浄土)を表す建築・庭園」

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世界遺産
『日光大紀行』
日光は、日光山内にある二社一寺と言われる、日光東照宮、日光山輪王寺、日光二荒山神社。更に、輪王寺に属する家光廟大猷院もある、いわば門前町にあたる。
平成11(1999)年12月、モロッコのマラケシュで開かれていた第23回世界遺産委員会が、これら、二社一寺の建造物と境内地からなる「日光の社寺」を、日本で10番目の世界遺産に指定したのである。
これらの日光の世界遺産群は、日光を取り巻く大自然、大山岳地が生んだものであり、培ったものであるることは疑わない
。 これら日光の世界遺産と大自然を訪ねます。
   世界遺産『日光大紀行』
世界遺産
『紀伊山地の
霊場と参詣道』
2004年(平成16年)7月、『紀伊山地の霊場と参詣道』として世界文化遺産に登録された。
長い歴史を誇る社寺や自然が織りなす文化的景観が文化遺産として登録され、その内容名称は「紀伊山地の三つの霊場(熊野三山、吉野・大峯、高野山)とそれらを結ぶ参詣道」として推薦、指定された。そして、それらの地域は奈良県、和歌山県、三重県にまたがる29市町村と合わせた日本最大の文化遺産でもある。
紀伊山地は、1300年以上にわたり日本の宮都であった奈良・京都の南に位置し、太平洋に突出した紀伊半島の大部分を占める山岳地帯で、鬱蒼とした森林に覆われた山々は、神仏の宿るところとして、古くから信仰を集めてきた。

本稿では、世界遺産部分とその周辺観光地を案内いたします・・!! 
  『紀伊山地の霊場と参詣道』
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世界遺産
『厳島神社』
日本三景の一つ「厳島」(宮島)は、厳島神社を中心とした島全体をいい、日本三景としてはただ一つ1996年、世界遺産・文化遺産に登録された。
「厳島神社」が世界遺産に指定されたその基準として、厳島神社の歴史的社殿群が周囲の環境と一体となった景観を呈し、又、その後の日本人の美意識の一基準である精神文化の重要な資産となっていることが条件にもなっている。 
建築物は、日本に現存する社殿建築の中でも、平安時代の古い形態の「寝殿造り」の様式を踏襲する重要な見本であり、又、厳島神社は、神道、仏教との所謂、神仏混交と分離の形態が良く現存していること等が理由としている。  『厳島神社』
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世界遺産
『石見銀山遺跡と
その文化的景観』
2007年(平成19年)6月末、「石見銀山史跡」は世界遺産に正式に登録された。正式名称は『石見銀山遺跡とその文化的景観』としている。
年当初、一旦は綿密な調査が必要などとして「登録延期」(事実上の凍結、落選)の勧告を受けたが、6月末のニュージーランド(クライストチャーチ)で開催されている第31回世界遺産委員会において、更に審議の結果、階級特進の「世界文化遺産」(産業遺産)として正式に登録のはこびとなった。
石見銀山は16世紀以降のもので『産業遺産』としては世界の遺産の中で最も古く、勿論日本では始めての登録となる。
  『石見銀山遺跡とその文化的景観


鎌倉編へ 先ず、「鎌倉」は小生の地元・相模の国(神奈川)に在って、中世期の日本の首府が在った所である。 古来、有史実以来、「日本の政治」の中心は主に大和・奈良、山城・京都、
『相模・鎌倉』、そして明治期以降の武蔵・東京であった。
その「相模の国・鎌倉」であるが・・、 
史作家「司馬遼太郎」氏に“街道をゆく”シリーズの内、「三浦半島紀」がある。
氏の冒頭を引用すると・・、『 相模国(神奈川県)の三浦半島はまことに小さい。この半島からみれば、ともに東京湾をかかえる東の房総半島(千葉県)などは、大陸のようにみえる。また、ともに相模湾をかかえる西の伊豆半島(静岡県)からみても、はるかに小さい。 狭い上に半島のほとんどが丘陵で、河川も細く、短く、従って水田面積もすくなかった。都市が未発達のころは、水田の多寡によってその地域の人口の大小がきまる。三浦半島は、当然ながら人口も少なかった。ところが、この半島から、十二世紀末、それまでの日本史を、鉄と槌とたがねでもって叩き割ったような鎌倉幕府が出現するのである。 』・・と記されている。
こんな「鎌倉」が、何故そうなったか、の疑問を元に・・?、 
鎌倉編へ
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湘南編へ さて、「湘南」は所謂、湘南地方である・・、
かの石原裕次郎や加山雄三が出世したところであり、現在でも若者たちには絶大な人気がある地域である。 車の車両ナンバーで近年(1994年10月)新規に「湘南」ナンバーが発行されたが、この時、若者たちによって湘南ナンバー取得フィーバーが起こり、わざわざ住所を変更して取得したという笑えぬ話もあったようだ。 
尤もこれには些か訳があって・・、湘南ナンバーの以前は「相模」ナンバーであったが、
知らない人が見ると相撲(すもう)と見間違えるのが嫌だったとか。 又、湘南地方において、「湘南市」の合併話があったようだが、こちらのほうはどうやら頓挫したらしい。
「湘南」という言葉の元々は・・、
 湘南編へ
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