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古都鎌倉(8) 「三浦一族の墓」




三浦の墓
三浦一族の墓


三浦一族の墓と当主・義明の冥福を祈る「来迎寺」(鎌倉・材木座)




一の谷合戦の「鵯越えの逆さ落し」は三浦氏の提案であった・・、

大江広元の墓地を下りると、その途中左手にもう一つの「やぐら」がある。 
その中には五輪塔や卒塔婆や供物が供えて有る、こちらは「三浦一族の墓」である。 

三浦氏は、北条氏との幕府の主導権争いに敗れ(宝治合戦)、一族の最後は、追い詰められて頼朝ゆかりの法華堂に籠もって自害したという。


話は、先ず源平合戦の頃である・・、


源義経が、頼朝の代官として平氏を攻めた時、難関の奇跡といわれた「一の谷合戦」は有名である。
摂津の国(大阪)と播摩(兵庫)との境に一の谷がある、この地に平家軍は陣を構えていた。 
前は瀬戸内海、後ろは鵯越え(ひよどりごえ)といわれる人馬寄せ付けない・・?、急斜面の地である。

義経はこの高地に立って下を見下ろした時、ここからの攻撃は無理だと内心思ったが、傍らにいた佐原十朗義連(三浦の義連・よしつら)が『こうゆう崖は、われわれ三浦の方では、普通の地形で、いわば三浦の者にとっては馬場のようなものだ』といったという。 


人の目から見ると、確かに難攻な斜面であるが、馬の目で見ると、そうでないかもしれない。
三浦党は馬の目をもっていたのだろう。
義経の「鵯越えの逆さ落し」はこうして生まれたという。



三浦半島に根拠(衣笠城)をもつ三浦党(党首・三浦大介義明)は、流人である伊豆の頼朝を密かに支援していた。 
そして「我等は代々源家の家人である」と常々申していたという。
しかし、三浦氏は元々は桓武天皇の流れをくむ名門平家の一族であり、半島一帯の武士団であった。

平安中期、奥州陸奥の変(前九年の役)に源頼家に従って参戦し活躍もしている。
その功をもって正規に三浦半島の領有権を与えられ、衣笠城を築き、城持の豪族になった。 
この時から、三浦党は源氏の大家人になったのである。 

頼朝の初戦「石橋山の合戦」で敗れたのは、三浦党が応援に駆けつける際、酒匂川が増水して到着が遅れたからとも云われている。

落人となった頼朝が房総へ渡る途中、湾上で三浦党と出会い同勢して上陸した。 
この際、三浦党を従えていたということで、房総衆は頼朝を見直したという。

この後、復帰なった頼朝が行った「論功行賞」で、三浦義澄・義盛らは三浦本領安堵、新恩拝領を受け、義澄は三浦介の名乗りを許された。

そして、義澄は千葉常胤・上総広常・土肥実平らとともに「宿老」として頼朝のブレーンとなった。



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頼朝亡き後、鎌倉は「北条の時代」へと移行する・・、


北条氏は他氏排斥の意向が強く、常時内紛が起こっていた。
そんな中の1213年、三浦一党の和田義盛は北条氏により「和田合戦」で滅ぼされている。

今度は第五代執権・北条時頼らによる三浦氏討伐の謀略が進められ、かくして宝治元年(1247)、「宝治合戦」といわれる両雄対決となる。 
三浦一族は手強く戦ったが北条方の優勢は動かず、頼朝を祀る法華堂に逃れ、主な従者260人、都合500余人が自害を遂げ三浦氏は滅亡したという。


この時点で、三浦一族の主流は滅亡する・・が、


その後、傍流の佐原氏の三浦盛時により再興され、戦国大名の相模・三浦氏へとなるのである。 
戦国初期の1516年に、相模地方に勃興してきた後北条氏(鎌倉北条とは異なるため・・)の北条早雲の大軍に攻められ、事実上、三浦氏は滅亡した。

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