【世界遺産・平泉】
岩手県の一関、平泉といった地域は、中世に栄えた陸奥の国(東北地方)の象徴たる文化や歴史が展開する。
※ 2011年6月、この東北の(陸奥の国)の一角、平泉地方に快挙が報じられた・・!! ※ ,
フランスのパリで開かれていた国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は、日本が推薦した「平泉」(岩手県平泉町)を、世界遺産に登録することを決めた。
東北地方では初の世界文化遺産となった。
日本の世界文化遺産としては、07年の「石見(いわみ)銀山遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)に続き4年ぶり12カ所目になる。
昨年(2011年)3月、陸奥の国は「東日本大震災」で大きい被害を受けただけに、「平泉」の朗報は東北の被災地復興のシンボルとなりそうだ。
頑張ろう・・!、日本。
頑張ろう・・!、陸奥の国。
平泉は、12世紀に東北地方で栄えた奥州藤原氏ゆかりの歴史的土地である。
平安後期の奥羽の変と言われる「前九年の役」、「後三年の役」の後、初代・藤原清衡が平泉を「仏の住む極楽浄土」にしようと考えて、先ず中尊寺を建てた。 同寺には藤原4代の遺体が眠る「金色堂」も建立している。
その後、、藤原三代に亘って平泉を仏都の中心におき、周辺各地に浄土思想に元ずく仏塔伽藍群や浄土庭園を構築する。
藤原氏初代の清衡は、自ら悲惨な戦の体験から、天治3年(1126年)、中尊寺の落慶供養に際し「世界があまねく平等の世界になることを心より祈願し、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め極楽浄土に導きたい」と、この世があまねく平和で戦のない理想郷を造りたい旨の供養願文(くようがんもん)を読み上げたと伝えられている。
清衡の理想として創造された現代の文化遺産は、そのまま世界共通の世界遺産の登録によって現代に蘇えった。
併せて、平泉の世界文化遺産が昨年の東北大震災の鎮魂として、又、現世に生きる浄土を通じて「世界の平和」へ寄与し、実現するものとして、願わずにはいられない。
現在は、それらの構築物は庭園遺跡が残るのみで、建築物は殆ど礎石のみを残すのみであるが、以前から当時の浄土思想に元ずく歴史的、文化的遺産として、国の文化遺産にも指定されていた。
世界遺産として当初、該当する地域と政府は、平泉町以外に奥州市や一関市の遺跡も含めて九資産で世界遺産委に推薦、認定依頼したが、「浄土思想との関連が十分に証明されていない」ことなどを理由に、国内で初めて「落選」した。 政府は更に、「浄土思想の表現」に強く関連する平泉町の6資産に構成し直して再推薦した。
登録の可否を審査するユネスコの諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)は、2011年年5月、浄土思想との関連が薄いとして奥州藤原氏の住居だった「柳之御所遺跡」を外し、名称も「仏国土(浄土)を表す建築・庭園 及び考古学的遺跡群」から「考古学的遺跡群」を削る変更を求めた上で、5資産の登録を認定、勧告した。
そして今回、世界遺産に登録されるのは、この中尊寺をはじめ、毛越寺(もうつうじ)、金鶏山、無量光院跡、観自在王院跡の計五資産である。
構成資産
【中尊寺】 (金色堂、金色堂覆堂、経蔵、白山神社能舞台、境内)
【毛越寺】 (境内附鎮守社跡、庭園)
【観自在王院跡】 (毛越寺境内附鎮守社跡、庭園)
【無量光院跡】 (礎石跡、庭園
【金鶏山】 (現存する人工の山)
登録周辺地域は構成資産187ヘクタール(東京ドーム=4・7ヘクタール・40個分)、それを保護する緩衝地帯(バッファーゾーン)として6000ヘクタール(東京ドーム・1270個分)の地域である。
因みに、世界遺産登録の範囲として、「構成資産」と「緩衝地帯」がある。
『構成資産』 文化遺産として直接登録される地域をいい、文化財保護法などで厳格に保護されていることが必要。
『緩衝地帯』(バッファゾーン) 文化遺産を取り巻く環境や景観を保護するために、構成資産の周囲に設けられる利用に一定の制限を有する区域をいい、世界遺産登録のためには、緩衝地帯を確保することが条件となる。
世界遺産登録のための特別な規定があるわけではないが、具体的にはそれぞれの国における法律や条例を適用して確保することになる。
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